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九州の名城・熊本城!

「熊本城」は難攻不落で絢爛豪華! 県民が愛する“清正公さん”     (2012/12/24     産経新聞)

熊本市の中心にそびえる熊本城の大規模な復元計画が築城400周年を機にスタートした。肥後54万石にちなみ総額54億円をかけ、本丸御殿などを往時の姿に復元。壮大で美しい城は一見の価値ありだ。武将姿で演舞などを披露する「おもてなし武将隊」も親切に迎えてくれ、連日観光客でにぎわっている。

清正公さんの城づくり

 

 熊本城は豊臣家の忠臣であった加藤清正(1562~1611)が、7年の歳月をかけて1607年に建築した。熊本城について、あまりピンと来ないまま現地に赴いたが、訪れてみれば城郭は東京ドーム21個分と広く、城門、天守閣、国の重要文化財である宇土櫓(うとやぐら)、豪華な本丸御殿、熊本県立美術館、土産物店が並ぶ桜の小路など見どころは盛りだくさんだった。全部を見てまわるのに丸一日はかかるだろう。

 高台に悠然と建つ城は、熊本のランドマークとなっており、名君として慕われた清正を県民は敬愛を込めて「清正公(せいしょこ)さん」と呼んでいる。優れた武人、建築家としての清正の知恵が詰まった城づくりは、熊本城の随所で見ることができる。上に行くほど急勾配に造られ、敵がよじ登れないようになっている石垣「武者返し」などが有名だ。さらに、城壁にある鉄砲を撃つ小さな窓「狭間」は命中率抜群の角度であるらしい。その話を聞いて一気に城マニアな気分となった。

 また、明治神宮の「清正井」はパワースポットとして有名だが、熊本城内には篭城戦に備え、清正が作らせた井戸が120以上あるという。ご利益の強さは計り知れない!? 筆者は熊本から帰ってきた週末の競馬で6番人気の伏兵が優勝するというプチ奇跡で一儲けさせてもらったので信じようと思う。

黄金に輝く「昭君之間」

 

 平成20年に復元された本丸御殿の中で、もっとも格式が高い「昭君之間(しょうくんのま)」は金箔をふんだんに使った、まばゆい襖絵が並ぶ絢爛豪華な間だ。天井まで豪華でどこにカメラを向けていいか迷うほどで、中国の前漢時代の美女、王昭君の悲劇の物語が描かれていることから「昭君之間」と呼ばれている。清正が豊臣秀吉の遺児である秀頼を迎え入れるために造らせたとの説があるが、秀頼が熊本城に入ることはなかった。真相は永遠の謎となっている。

加藤家から細川家へ

 

 加藤家が出羽庄内(現在の山形)に改易となった後は細川家が240年間、11代という長きにわたり熊本城主を務めた。第79代首相の細川護煕氏は、直系の18代当主。お金持ちそうなイメージはあったが、本当に殿様だった。栄華を極めた細川家の領地は54万石までの規模となり、江戸時代に全国6番目となる石高となった。その細川家に伝わる文化財は6万点以上と膨大な数があるため、熊本県立美術館では季節ごとにテーマを決めて展示をしている。(産経デジタル 高橋里枝)

 【アクセス】 熊本城へはJR熊本駅から市電で約10分「熊本城・市役所前電停」下車。JR熊本駅から城周遊バス「しろめぐりん」も走っている。11月~3月は8時30分~17時(入園は16時30分まで)、4月~10月は8時30分~18時(入園は17時30分まで)。

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産経新聞さんが日本の名城の特集するなんて…。 県庁所在地に名城があるなんてうらやましいね! 大分の県庁所在地ある城…府内城は城壁とか物置みたいなのしか残っていない、天守閣があったであろう場所には石垣だけが残されていますわ(><)

熊本城は小学生の頃社会見学で行ったきりでしょうか、平成の改修工事が行われたことは聞いておりましたが熊本城の話題をローカルニュースで見聞きするたびに訪れてみたいと思っているんですがなかなか見学に行けませんわ。 熊本県民はいまだ加藤清正公を慕っているんですね…熊本のお土産には清正公のイラストが入ったものあったような…。大分県内には加藤清正公ゆかりの寺社がけっこうあるんですょね!

数年前でしたか、どこの出版社か忘れましたが熊本城の写真集が発売されたので購入してみました、モノクロ写真ばかりですが見ていて熊本城の各所が芸術品のようで感動しました!写真家の“熊本城・愛”が出ているようでした。

 

 


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