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故田中角栄氏の「国民に信頼される政治家」論でしょうか? [政治・政治家]

本分忘れた民主…自分を愛すること第一義    (2012/03/02     産経新聞ZAKZAK)

政治家にとって不可欠とされる発想力は「国民にいかに資するか」「いかに国民を愛しているか」の中からしか生まれない。民主党議員の多くは政権をとって頭に血が上ってしまったのか、自分を愛することが第一義である。だから、声だけは挙げるが斬新な政治は生まれず、目先のハードルを飛び越えるためだけの政治に堕している。

 田中角栄元首相の場合はどうだったか。田中は議員バッジを付けるや否や、戦後復興と経済の発展に向けて、この国のエネルギー政策を発想、その実現のために心血を注いだ。

 電力の供給は「産業のコメ」と言われる。火力や水力の発電施設を整備する電源開発促進法を議員立法で成立させ、高度経済成長への発射台としたのは30歳代半ば、当選わずか2回である。

 戦後まだ7年足らず。米国は、日本に軍需産業に転換できる基幹産業の振興を容認するところまではいっていなかった。GHQはさかんに「公職追放するぞ」と脅したが、田中は屈することがなかった。このことがやがて交通網の拡大に結びつき、電源開発促進法の成立2年後から10年間、日本経済は平均10%超の成長率を示した。

 その後、田中のエネルギー政策での発想は、エネルギー安全保障としての「自主資源外交」につながっていく。首相時代の昭和48(1973)年、第4次中東戦争が起き、資源小国の日本は石油ショックの直撃を受けて、物資不足に陥ったことによる。石油補給ルートの多様化、原子力政策の発想であった。

 米国頼りから、英国と北海油田、ソ連とはチュメニ油田の開発。独、仏、豪などとはウランの調達、原発の共同開発などで、次々に各国首脳と会談を重ねた。

 結果、この「自主資源外交」が米国の石油メジャーを刺激し“虎の尾”を踏んだがゆえに、ロッキード事件が起きたという見方もある。

 「田中はメジャーから横やりが入ることは百も承知、政治家の信念として行動した。太平洋戦争が、日米交渉で石油の輸入を止められたことに出発があり、敗戦となった苦い思い出があった」と、かつて田中派のベテラン議員は語っていた。

 原発については、東日本大震災の事故という不幸に見舞われたが、わが総電力量の3分の1を支えたのも事実であった。いま原発不要論議があるなかで、残念ながら民主党からも自民党からも、それに替わる新たなエネルギー政策への発想、具体的方策は何1つ提示されてこない。議員バッジを光らすだけの発想力なき政治家は“無用の長物”に過ぎない。(敬称略)

 ■小林吉弥(こばやし・きちや) 1941年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。出版社勤務を経てフリー記者に。その後、独立し、68年から政治評論家になる。永田町取材歴40余年を通じ、抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析で定評。田中角栄人物研究の第一人者。著書に「アホな総理、スゴい総理-戦後宰相31人の通信簿」(講談社プラスアルファ文庫)など。最新刊は「田中角栄流『生き抜くための智恵』全伝授」(KKロングセラーズ)
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政治評論家の小林吉弥さんの著書読んだこと無いです(><)、故田中角栄氏の人物研究家らしいですけど、田中角栄氏の人物像を追っていたら現在の政治家のあり方と比べてみたくなるのではないでしょうか? 私の「田中角栄」という人は新聞等で読んだイメージしか浮かびません、コンピュータ付きのブルドーザー、イケイケどんどんの日本列島改造論とか…ロッキード事件の黒いピーナッツ…政界から退場でしょうか。 今、田中角栄氏が生きていたら!東日本大震災・福島原発事故の対応・後始末にどう動いたか? というような月刊誌の特集があったような…。

小林吉弥さんの田中角栄の人物研究から導き出される「政治家のあり方」は民主党政権に失望感とともに他の政治家にも及ぶのではないかと、個人的な感です。

自民党から政権奪取した民主党のお題は「国民の生活が第一」だったのに、現在の状況を新聞・雑誌等で読めば「自分を愛することが第一」になっているようです。 小林吉弥氏の投稿文を読んでいましたらため息が出てしまいました。


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