300年前の巨大地震の津波をCGで表現 [自然現象・自然災害]
300年前に巨大津波 今こそ震災へ備えを (2012/03/01 大分合同新聞)
10月4日午後2時ごろ、紀伊半島沖を震源とする巨大地震が発生。マグニチュード(M)は推定8・6。西日本の太平洋側は猛烈な揺れと津波に襲われた。
大分県内では杵築市山香が震度6弱、大分、臼杵、竹田が震度5強。津波の高さは佐伯市米水津で8・0メートル、別府で2・2メートル。死者は全国で2万人以上とみられる―。
(地震発生から20分後、大分県南部に大津波が迫る-。新たな地震モデルによる宝永地震(1707年)の津波シミュレーション=古村孝志東京大学地震研究所教授らの研究(2011年)から)
これは仮想の話ではない。かつて実際にあった震災を再現したものだ。
江戸時代の宝永4(1707)年に起きた「宝永地震」。国内最大級とされたこの地震が今あらためて注目されている。西日本で繰り返し発生している「東南海・南海地震」などの“次の候補”として、宝永地震に匹敵する巨大地震が考えられているからだ。
その時、県内で何が起きるのか。それを知る鍵が佐伯市米水津にある。
「主人が古文書を集めていた時は、そんなに大事なものだと私は思っていなかったんですよ」
米水津浦代浦の漁港に程近い民家で、高宮三穂さん(74)は貴重な一冊を取り出してくれた。市井の郷土史家で3年前に亡くなった夫、昭夫(しょうお)さん=享年74=が調べていた「成松文書」。地元の庄屋の古い記録に、宝永地震の様子が克明に書き残されていた。
〈南の方おびただしく鳴り、時を移さず大地震致して…〉〈波、浦中に打ち渡し、浦白(浦代浦)は一面湖のごとく相見え…〉〈汐(しお)差し込むこと限りなく、浦々、家財・屋敷共に畠(はたけ)までも流され申し候…〉
津波が一斉に押し寄せて陸地が一面湖のようになった。津波はどこまでも入り込んで家ごと流していった―。まるで見たことがある光景。そう、東日本大震災にそっくりだ。
東北大学災害制御研究センター(仙台市)。新たな研究に基づく宝永地震の“実像”を、今井健太郎助教(35)=津波工学=が示した。米水津間越(はざこ)にある龍神池で近年確認された、宝永地震の津波堆積物。従来の地震モデルでは、ここに大きな津波が及ぶことは「全く説明ができない」ことだった。
昨年2月、東京大学地震研究所の古村孝志教授、前田拓人特任助教との共同研究で、この謎を解明した論文を発表。地殻変動の測定データなどから、宝永地震の震源域はこれまで考えられていたより広く、東海・東南海・南海から日向灘の一部にまで延びていたとする新モデルを導き出した。
九州東岸に震源域がより近づき、従来モデルと比べ「豊後水道に入ってくる津波が明らかに高くなった」(今井助教)。
東日本大震災クラスの巨大津波が、今度は西日本、九州を襲う。非現実的な想定ではなくなった。
宝永地震の発生から300年余り。次の大地震がいつ起きてもおかしくない段階に入ったとの見方もある。地震・津波のリスクといかに向き合い、どう備えるか。「現実の課題」としてわれわれに突き付けられている。
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今日の大分合同新聞朝刊1面3分の2ぐらい使った記事でしたね。 新たな地震モデルによる宝永地震(1707年)の津波シュミレーション画像を見て現在のCG技術でここまで当時の津波の高さを予想できるのかと興味をもったもんです、こういう予想図を見せられると実際巨大地震が起こったら自分はどのような行動が起こせるかですね?
いつでもどこにいてもとっさの判断で逃げ場を確保する…難しいわ。