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大友宗麟と南蛮文化・掘り起こしで観光客に歴史ロマンを感じてもらう [大分県内での話題]

キリシタンと関係深い6市町が協定      (2013/02/13     大分合同新聞)

戦国時代から江戸時代にかけて豊後国一帯で花開いたキリシタン・南蛮文化の遺産を人的交流促進や地域振興に一層役立てようと、キリシタン関連の遺跡などがある県内の6市町が12日、キリシタン・南蛮文化交流に関する協定を結んだ。これまで自治体レベルで進めていた検証事業や催しといった取り組みを“点から面”へと広げ、魅力発信の相乗効果を狙う。

 協定を結んだのは国東、大分、臼杵、竹田、津久見の5市と日出町。豊後府内にゆかりが深い戦国時代のキリシタン大名、大友宗麟(1530~87)の領地として西洋の音楽や医療技術が導入されたり、江戸時代に多数の殉教者が出るなど、いずれも南蛮文化と縁が深い地域。
 協定書では、県内の関連遺産について「各地に数多く残っているが有効に活用されていない」と分析。このため、観光、教育、文化遺産の情報発信、教育機関との学術研究といった幅広い分野で、互いに連携を深め合うこととした。各地の歴史遺産を巡る共同企画や、各市町が所有する歴史史料の巡回展示などを検討している。
 大分市役所でのセレモニーには三河明史国東市長、釘宮磐大分市長、中野五郎臼杵市長、首藤勝次竹田市長、吉本幸司津久見市長、工藤義見日出町長が出席。全員が協定書に調印した。
 連携を提案したのは国東市の三河市長。地元出身のペトロ岐部(1587~1639)は2008年に「福者」に列せられ、注目を集めた。地元で顕彰活動に力を入れているという。三河市長は「関係自治体で連携し、(豊後の)キリシタン文化を発信し広げていこう」と訴えた。
 大友氏が代々拠点とした大分市の釘宮市長も「宗麟がキリシタンを保護した分、大分は江戸時代は弾圧され文化を発信できないジレンマがあった。今回の連携でそれを打ち破ろう」と呼び掛けた。

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私の住んでいる地域あるキリシタンの遺跡といえばキリシタン殉教記念公園でしょうか。そこには処刑場があったという。一時期…近所で幽霊騒ぎがあったもんですが公園の隣に日蓮宗のお寺ができてからは噂を聞かなくなりましたね。 http://www.oishiimati-oita.jp/dic/detail.php?ID=9999900074975&area=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8C%87%E5%AE%9A%E3%81%AA%E3%81%97&keyword=%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%AE%9A%E3%81%AA%E3%81%97&genre=

大分市葛木のキリシタン殉教記念公園は上記のページの画像よりも木々竹々が伐採されすっきりした公園になっています。防犯上見通しの良い公園になっているようです。

臼杵市~野津地域では人里離れた所に戦国時代~江戸時代初期のキリシタンの墓地が保存されていますわ。 竹田市にはサンチャゴの鐘という由来不明の教会の鐘が保存されているようですし、 レプリカも造られ音色も聞くことができるようです。

長崎県ほど南蛮文化の遺跡は残っていませんが宗麟時代の町並みを発掘すれば輸入物が出てきたり…宗麟時代の府内は国際貿易都市だったことがうかがえますね!


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